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緑の目の令嬢|モーリス・ルブラン

『ルパン三世 カリオストロの城』がきっかけで「アルセーヌ・ルパン」シリーズを読んでいます。「ルパン・サーガ」というかっこいい呼び方も見かけました。今回は1927年、作者のモーリス・ルブラン氏が67歳ごろの作品、『緑の目の令嬢』です。

1.描写とストーリーの関係

今作のモーリス・ルブラン氏は、緻密な描写を積みかさねていきます。描写をしている間は、多くの場合、ストーリーが滞ります。その関係で、中盤が過ぎるころまでは、少し読みにくさを感じていました。

リアリズムの小説家の手法です。オノレ・ド・バルザック氏やギュスターヴ・フローベール氏の影が見え隠れします。書けば書くほど、物語の世界が立体感を増していきます。おそらくこれが描写の基本機能です。

この若干の退屈を呼び起こす緻密な描写が、物語の後半に至ると、怒涛のおもしろさをひきこみます。物語に立体感が増せば増すほど、登場人物の行動に感情移入します。このことはオノレ・ド・バルザック氏の『骨董室』という作品を読んでいる時に、気づかされました。

たとえば、ある人物が花を愛している。どういう花を愛しているかを描く。どういうふうに愛しているかを描く。ひとりの人間の思考や行動が、外の世界との関わり方が、その人間を立体的にしていきます。

しかし、300年以上前にヘンリー・フィールディングが見抜いていたように、描写と眠気は同一人物です。ストーリーがうまく流れていないと、小説ですから、ちょっとしんどいです。『緑の目の令嬢』は、読むのをやめようと思いながらも、ページをめくっているうちに、どんどんおもしろくなっていきました。

2.アルセーヌ・ルパンとルパン三世

『ルパン三世 カリオストロの城』とモーリス・ルブラン氏の「アルセーヌ・ルパン」シリーズでは、見どころが異なります。比較して読む気はもうありません。

モーリス・ルブラン氏は物語を構築します。宮崎駿氏は魅力あるキャラクターデザインやアニメーションを手掛けます。二人の長所はちがいます。そんな中で、この作品に「ジョドー」がでてきて、「緑の目の令嬢」が6歳の頃までさかのぼり、「水底に没した町が」現れたからといって、もうどうでもいいことでした。

むしろ、「アルセーヌ・ルパン」シリーズを読むきっかけをあたえてくれたことだけで、宮崎駿氏と『ルパン三世 カリオストロの城』という作品に感謝しています。

『カリオストロ伯爵夫人』に興奮し、『カリオストロの復讐』にさらに興奮し、また『緑の目の令嬢に』やられました。同時に読まない限り、冷静な比較は不可能です。現在読んでいる本が、一番おもしろい作品だと判断してしまいます。この次元の芸術、エンターテインメントは、そう出会えるものではありません。

3.翻訳者

わたしが選んだのは、創元推理文庫の翻訳者は石川湧氏です。基本的には夏目漱石氏のような文体で、いい翻訳でした。ただ、時代を感じる翻訳も当然ありました。

女性を呼ぶときに「ねえちゃん」。相手を呼ぶときに「てめえ」。読んでいて首をかしげる場面もありました。今は絶版だそうです。偕成社のルパン翻訳の方が、現代の読者には向いているのかもしれません。

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