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一九八四年|ジョージ・オーウェル

ジョージ・オーウェル、という人の本を読みました。一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

きっかけは、すこし前に読んだ2冊の本(※1)のなかで目にしたからというだけのことで、また、買ってすぐに他のことで忙しくなったこともあり、数か月ほったらかしにしておいたものを、最近になってようやく自由な時間がつくれたので、数か月前に読んだところから、続きを読みました。

おもしろいというか、不思議なのは、数か月の休憩をはさんでも、それまでの物語をだいたい思いだせたところです。自分に起こったことをあまり覚えないようにしているわたしの癖を考えると、この物語自体に、忘れられないものがあったのかもしれません。


あるところまではサスペンスのようなぞくぞくした感じをたのしんでいましたが、いつからか、なんともいいがたいところへ連れていかれ、――

あまりの読後感に著者のことをもう少し知りたくなったので、ほかの本も読んでみようと思いちらほらさがしていると、ヘンリー・ミラーという人の評論をしていることがわかり、そして、そのヘンリー・ミラー氏は、ある本のなかでジョージ・オーウェル氏のことをこんなふうに書いていました。

彼がパリへ来たときに二、三度会っている会っているだろう。彼を友達とまではいえない、たまたま面識があったというだけだな。しかし、彼の『パリ、ロンドン放浪記』には夢中になった。あれは古典だと思う。私にとって、いまだに最良の本だ。オーウェルってのは、彼なりにすばらしい奴だと思うけど、最終的には馬鹿な奴だ。多くのイギリス人がそうであるように彼も理想主義者だけど、私には馬鹿な理想主義者だというふうな気がする。いってみれば、主義に忠実な人物なんで、主義を守る奴は退屈だな。


ヘンリー・ミラー氏は、さらにいいます。

政治ってものはまったくきたならしい腐敗した世界だと思っている。政治からは何も得られない。政治は、すべてを下品にするものだ。


ひとりひとりの人間を包んでいる状況や時代のようなものは、考えたかたや表現のスタイルに影響をあたえると思いますので、また、他人の考えていることは、100%推測しかできませんので、すべてをかんたんに受けとめることはできませんが、ここまでの発言をできる人が、どういった作品を自身でつくりあげているのか、ということに興味がでてきました。また一冊、読んでみたい本がふえました。

そして、今回読んだ『一九八四年』の巻末には、トマス・ピンチョン氏の解説がついていて、それによると、ジョージ・オーウェル氏は、ある著書のなかで、こういったそうです。

『動物農場』は、自分が何を書いているかをはっきりと意識しながら、政治的意図と芸術的意図を融合してひとつの統一体を作ろうと試みた最初の本だった。


この二人の作家の個性が、ジョージ・オーウェル氏の政治と、ヘンリー・ミラー氏の非政治が衝突している感じです。それでいてお互いに、認めあっているようにみえるところもあります。

他人の評価がどうあれ、わたしからしてみれば、すごい作品だったということはかわりません。


※1
P.F.ドラッカー:ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり
岡村久道:個人情報保護法の知識〈第4版〉 (日経文庫)